「埋め込み型人工腎臓」2030年に実現へ

13-10-2022

 

透析患者の過酷な生活を変える「埋め込み型人工腎臓」2030年に実現へ。コストを最大80%削減

Kidney1Imecの主任科学者、Fokko Wieringa氏。埋め込み型人工腎臓の開発に取り組んでいる。

 

「健康と長寿の国」として知られる日本ですが、実は世界でも有数の「透析大国」であることをご存知でしょうか?慢性腎不全で週3回ほど病院に通い、人工透析を繰り返している人は、実に350人に1人。その数は年々増加傾向にあります。

人工透析で病院通いを繰り返す生活は、旅行も出張もままならず、生活の質(QOL)は著しく低下します。その上、透析による身体への負担は大きく、血液透析で期待される平均余命は日本の60歳で10年程度。アメリカでは5~6年に過ぎません。

しかし、瞬時にワイヤレスで情報が飛び交い、ナノテクノロジーでチップの小型化が進む現在、人工透析はこのような形でなければならないのでしょうか?

国際研究機関「Imec(アイメック)」の主任科学者であるFokko Wieringa(フォッコ・ウィーリンガ)氏は、2024年に持ち運び可能なポータブル透析装置、2030年には人体への埋め込み可能な人工腎臓を実現させるべく、世界中のステークホルダーに呼びかけながらこの問題に果敢に取り組んでいます。

 

日本は「透析大国」

日本透析医学会(JSDT)によれば、日本の慢性透析患者数は2020年末時点で約34万8,000人。人口100万人に対する透析患者数は2,750人で、国際比較では台湾に次ぐ世界2位。残念ながら、日本は世界有数の「透析大国」となっているのです。

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1968~2020年の日本における慢性透析患者数と有病率(人口100万対比)の推移(出典:日本透析医学会『2020年日本透析医学会調査報告書』より)

厚生労働省によれば、日本における透析治療の医療費は、1人あたり月額で約40万円、年間総額では約1.6兆円(医療費全体の約4%)と見積もられています。高齢化の進行により生活習慣疾患病が増えており、人工透析にいたった原因は糖尿病性腎症が約4割を占めているほか、腎硬化症も長年増加傾向にあります。

慢性腎不全となった場合、治療法には腎移植と透析治療がありますが、腎移植に必要な腎臓のドナーが足りず、血液透析が主流となっているのが現状です。血液透析は週3日、1回あたり4時間を要する上、身体への負担も大きく、患者は透析後に疲れ切った状態になってしまいます。患者にとっても家族にとっても苦痛が極めて大きいものです。

しかし、ウィーリンガ氏によれば、現在のテクノロジーでこの問題を解決することは十分に可能だといいます。

 

埋め込み型人工腎臓で透析コストを60~80%削減

ウィーリンガ氏は現在、オランダ南部のアイントホーフェンを拠点とする研究機関「Holst Centre(ホルストセンター)」で、「Dutch Kidney Foundation(オランダ腎臓財団)」、シンガポールの医療技術会社「Dialysis」、スイスの「NextKidney」の仲間とともに、飛行機内に持ち込めるスーツケースに入る「ポータブル人工腎臓」の開発を進めています。実用化の目途は2024年。

これまで大型冷蔵庫ぐらいの大きさだった透析装置では、1回の透析で70~120リットルの「透析液」が必要でしたが、ポータブル透析装置ではわずか6リットルで血液透析を行うことができます。また、電力も一般家庭で使っているコンセント(110/220V)が使用でき、電力消費量も大幅に削減されます。

「透析患者のQOLを劇的に改善するだけではなく、非常にエコフレンドリーで、コスト効率もいいのです」(ウィーリンガ氏)

 Kidney3腎臓病患者の安全性向上と新しい治療法の開発を目的にアメリカで結成されたコンソーシアム「Kidney Health Initiative(KHI)」による人工腎臓技術のロードマップ

彼らの研究は、ポータブル人工腎臓に留まりません。ホルストセンターでは、人間の身体に合った生体適合性の高い材料を使って、生きた細胞を培養できる「Organ-on-Chip(生体機能チップ)」やナノエレクトロニクスの技術を世界中から結集し、2030年の埋め込み型人工腎臓の実用を目指しています。

これが実現すれば、透析患者の自由度はさらに高まります。その上、ウィーリンガ氏によれば人工透析のコストは60~80%削減できる見通し。日本や世界における医療費の削減にも大いに貢献すると予想されます。

 

電波で毒素を切り離す、血液透析の有効性を高める「MI-TRAM」

 Kidney4タンパク質結合尿毒症毒素(PBUTs)はダイアライザーのフィルターの穴を通れず、血液中に残されてしまう。

最先端のテクノロジーを使って腎臓の機能を再現する試みとして、ウィーリンガ氏たちはまず、血液透析の有効性を高める研究を進めました。

血液透析では、腎臓のフィルターの働きをする「ダイアライザー」という筒状の装置に血液を通して、血液中の有毒な老廃物や電解質などを透析液に移しますが、そのとき血液から除去されるのは、フィルターの穴を通れるぐらい小さな分子だけ。大きな血漿(けっしょう)タンパク質にくっついた毒素(タンパク質結合尿毒症毒素=PBUTs)は、血中に残されたままになっています。

ドイツ・アーヘン大学病院の研究者、Joachim Jankowski(ヨアヒム・ヤンコフスキ)教授は、この血漿タンパク質が電波にさられされて共鳴振動すると、より多くの毒素がそこから切り離されることを発見しました。こうすれば、PBUTsがフィルターの穴から排出される可能性が高まります。

しかし、この操作のためには机いっぱいに大きな機器を広げなければならず、これらの機器の周辺で無線電波障害が起こるという問題がありました。

 Kidney5ダイアライザーのプラスチックチューブに取り付けられる「MI-TRAM」から電波を注入すると、PBUTsが血漿タンパク質から切り離されやすくなり、透析フィルターを通して排出されるようになる。

そこで、ウィーリンガ氏はアイメックでこのセットアップを指先サイズのチップに収め、小型化することを提案。「UMC Utrecht(ユトレヒト大学医療センター)」との協力の下、「MI-TRAM(マイトラム)」という小さなスマートモジュールが生まれました。

現在も開発中のこのモジュールは、あらゆる血液透析装置との互換性が想定されています。ダイアライザーから出入りしているブラスチックチューブにクリップで取り付けられるもので、電波が他の医療機器に影響を与えないようになっています。

これに加えてチップは、体温、心拍、血流などのデータ収集をサポートし、外部のデバイスにワイヤレスで接続することも可能。これが体内に埋め込み可能となれば、患者の状態は遠隔でもモニターできるようになり、定期的に病院に行く必要もなくなります。

現在ウィーリンガ氏たちは、このプロトタイプの製作に取り組んでいます。

Kidney6MENS(Micro Electro Mechanical Systems:マイクロメートル単位の微小な機械やセンサー、電子回路などを1つのシリコン基板などの上に一体化した複合的な電子部品)テクノロジーは、「MI-TRAM」の小さな透析フィルターの作成に役立つ(左挿入図)。また、MI-TRAMのチップにはさまざまなスマート機能を盛り込むことが可能。2030年には人工腎臓の体内埋め込みを目指す。

 

人工腎臓はサステイナブル、海水浄化やプラスチック削減にも貢献

ポータブルや埋め込み型の腎臓が実現すれば、現在の透析患者のQOLを劇的に改善するだけではなく、これまで治療にアクセスできなかった世界中の人々を救うことにもなります。

「特にインフラが貧弱な第3世界の国々で、多くの命を救う可能性を秘めています」

人工腎臓は、ほかにも大きな社会的・経済的インパクトをもたらします。「スーパー浄水器」とも言える私たちの腎臓のメカニズムが人工的に再現できれば、その技術は効率的に海水を真水に浄化することにも応用できるからです。

 

Kidney7透析治療のために1年間に生産されるプラスチックチューブは、地球と月を4往復するのに匹敵する長さ。

さらに、埋め込み可能な人工腎臓は、透析に必要となる大量の水やプラスチックの削減にも繋がります。現在、1年間で12人分の血液透析に使われる水は、オリンピックプール1つ分に相当。また、透析のために1年間で生産される使い捨てプラスチックチューブの長さは約300万キロメートル、地球と月の間を4往復するのに匹敵する長さに及びます。このような使い捨てをなくすことで、環境への負荷が軽減されることになります。

「このイノベーションの恩恵を受けるのは、透析患者だけではありません。全世界の人々が恩恵を受けられるのです」

 

かつては在宅透析が主流だった

 

Kidney8世界初の血液透析は、オランダの小さな街で行われた。

現在の形の血液透析は、実はウィーリンガ氏たちの住むオランダで始まりました。医師のWillem Kolff(ウィレム・コルフ)氏が戦時中、カンペンという小さな街で1人、セロハンでできたソーセージの皮や自動車(フォードTモデル)のウォーターポンプなどを使って、透析装置を開発したのがその始まりです。

コルフ氏は1943年、腎不全で昏睡状態に陥った女性の血液浄化にこの装置を使い、その効果を実証。1945年には急性腎不全の患者の命を救うことに成功しました。コルフ氏は戦後、アメリカに渡って人工腎臓の研究を続け、透析治療の基礎を確立しました。

1972年にニクソン大統領が「人工透析の費用を国が負担する」という決定をしてからは、これが一般に広まります。興味深いことに、当時は9割の患者が自宅で血液透析をしていたといいます。

しかし、その後は透析装置の開発は産業界の関心を集められず、投資がストップしてしまいました。現在は透析のほとんどが病院で行われており、透析治療のあり方は1970年代からほとんど変わっていません。その方がプロバイダーの観点から、はるかに収益性が高いからです。

 

Kidney9血液透析が普及してから50年後、周りのテクノロジーが進化する中で、透析患者は未だに不便な生活を強いられている。

「もし、これが“次世代プレイステーション”と同様の関心を引き起こしていたら、ポータブルでウェアラブルな透析装置はすでに市販されていたでしょう」

近年の「コロナ禍」では、在宅透析の長所が明らかになりました。感染リスクの高い透析患者が移動せずに自宅で透析ができれば、そのリスクも軽減されます。透析装置を小型化するための技術が整ってきた今、透析のあり方を変える時期が来ています。

 

高速道路か、世界を変えるイノベーションか

 

 

Kidney10欧州議会は腎臓の健康について真剣に受け止めており、2022 年 6 月 15 日の欧州腎臓健康同盟(European Kidney Health Alliance:EKHA) との会合では、緊急のイノベーションの必要性が議論された(Wieringa氏は右から 2 番目) 。

ウィーリンガ氏は患者や医師、看護師、政策立案者、投資家、起業家、エンジニアなど、多くのステークホルダーの協力が必要と訴えます。埋め込み型人工腎臓を実現するために必要な投資資金は、5億~20億ユーロ(約700億~2800億円)。これは多くの国で50~200キロメートルの高速道路を作るのと同等の投資額です。

「効率的に資金が集まり、世界中の優秀な研究グループが集まって努力すれば、埋め込み型人工腎臓は2030年までに実現できるでしょう。これは1961年当時、人類の月面着陸を目標に据えた『ケネディ声明』のように聞こえるかもしれませんが、ゴーサインが出されれば、それは月面着陸と同様に実現可能なのです」

ウィーリンガ氏のプロジェクトとの共同研究を望む専門家の皆さん、イノベーションの可能性に投資したいと考えている企業、異業種でも協業を模索してみたいという方、さまざまな方面からの協力が可能です。まずは下記連絡先までご連絡ください。

 

【プロジェクトへのお問い合わせ】

Dr. Fokko Wieringa    Fokko.Wieringa@imec.nl

 

 

Patient Voices Bridge Oceans_03米腎臓病患者協会(AAKP)が立ち上げた世界的なイニシアティブ「The Decade of KidneyTM」により結ばれた組織。これらの全ては、資金提供を促進する政策立案者により支援され、画期的な研究開発に取り組んでいる。

略称:EKHA: European Kidney Health Alliance; KHI: Kidney Health Initiative; MEP: Member of European Parliament; EKPF: European Kidney Patient Federation; AAKP: American Association of Kidney Patients, EDTNA/ERCA: European Dialysis and Transplant Nurses Association – European Renal Care Association; NIH: National Institute of Health; HHS: Human Health Service; CMS: Centers for Medicare and Medicaid Services; FDA: Food and Drug Administration; ISN: International Society of Nephrology; ERA: European Renal Association; ASN: American Society of Nephrology, HDU: Home Dialyzors United; ESAO: European Society of Artificial Organs; IFAO: International Federation of Artificial Organs; ASAIO: American Society for Artificial Internal Organs; APSAO: Asian Pacific Society of Artificial Organs

 

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Naoko Yamamoto

Japanese writer and  publicist based in Eindhoven, The Netherlands